心が少し疲れたときに、立ち止まるためのヒント
理由がはっきりしないのに、気持ちが沈む日があります。すぐに元気になろうとせず、疲れている自分に気づくところから始めてみませんか。
疲れは、音を立てずに溜まっていく
心の疲れは、熱や痛みのようにはっきりとした形では出てきません。だから気づくのが遅れます。朝起きるまでに少し時間がかかる、好きだったものが楽しく感じられない、返事をするのが億劫になる。そういう小さな変化が先に出てくることのほうが多いようです。
まわりから見れば、いつもどおりに見えているかもしれません。仕事も家のことも回っているし、大きな問題も起きていない。だからこそ「疲れた」と言いにくくなります。言うほどのことではない気がしてしまう。
けれど、疲れているかどうかを決めるのは、出来事の大きさではありません。同じ量の仕事でも、余力があるときとないときでは、まったく違うものとして体に残ります。
立ち止まることは、後戻りではありません
休むことに罪悪感を持つ方は少なくありません。まわりが動いているように見えると、止まっている自分だけが取り残されている気がしてくる。早く元に戻らなければ、と焦る気持ちも出てきます。
ただ、疲れているという感覚は、体が出しているまっとうな信号です。無視して走り続けると、あとでもっと長い休みが必要になることもあります。立ち止まるのは、進むのをやめることではなく、進み続けるための時間の使い方なのかもしれません。
それに、止まってみてはじめて見えるものもあります。何がいちばん重かったのか。本当はどこを手放したかったのか。動いている間は、考える余白そのものがありません。
今日は、ひとつだけ手放してみる
大きく変える必要はありません。今日やるはずだったことを、ひとつだけ明日に回してみる。それくらいの小ささで十分です。
「疲れているかもしれない」と自分で気づけたなら、それだけでもう一歩進んでいます。気づかないまま走り続けている人のほうが、ずっと多いのですから。
それでも気持ちが晴れない日が続くようでしたら、誰かに話してみるのも選択肢のひとつです。アトリエさぼてんでは、答えを急がずに、今の状態を一緒に眺めるところから始めています。
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